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2年前のいまごろ

今頃はICUだったかな?
1回目のAVRのときは拘束も喉に大きな管もめざめたときにはなかった。夜中は電気が暗くなったけど2回目は明るいまんま。とにかく拘束と管でICUナースと話すこともできず、いらいら。2日間拘束、喉の管はとれなかった。ああ、拘束とは、こういうつらいものなんだなあ・・・というのが実感。
わたしをくずよばわりするやつにはわからないだろうな。
耳、腕、あらゆるところにセンサーだのラインがあって、おなかには管4本。尿道カテーテルはICU1週間滞在の間抜けなかった。酸素いれててもサチュレーション低くてアラームがなって、ナースがきて深呼吸してくださいなんていわれた。
透析器がつながれているらしかった。
1回目のAVR、Ao形成のOP後があまりにも楽々園だったので、こんなはずでは?という気持ち。肝硬変チャイルドBでOPしてくれただけでうれしかった。
生還できたんだという感動はあったが、苦しかった。A教授の超特急手術だとか。助教のS先生が後日、ひでほさんアルブミンが4もありますよといわれてびっくり。でも冷静に考えれば、輸血しまくりで、アルブミンも大量にいれてくれたみたいで、あたり前田のクラッカー。その後すぐ2代に落ち込んだ。
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今日は体調悪くて、飯もあんまり食えなかったし、アンプもできんかった。
母はあいかわらず昔の人、何か月か経過の卵で玉子焼きつくったらしい。へんな味。
吐き気・・・・
ボケは味覚からくるとかいうけど、母もやばくなりつつある。
父親はもうダメ。
母になにかあって、父親ー小生の生活になったら、確執もあるし、殺人を犯してしまうかもしれない。
母親、消費期限半年経過したものでもへいきで出して食べるし食わせていわない。
味覚もおかしい。
母のつくったものはもう食えない。
1日じゅうTVみていて、忙しい忙しい云々。
買い物もめんどくさがっていかない。
健康サギショップには、ほいほい行くのに・・・・

OPムンテラ当日、母はびびっていた云々と書いたが、あれはうそを書いた。
すげえリスキーなOPだとY准教授が説明してるのに、あっそうで終わり。とっとと
帰宅。ムンテラくるのも嫌がった。
ICUにも1回も来ないし、その後も1回もこない。

肝硬変の食事の本わたしてもよまないし、インスタントラーメンでも食べとく?
とぬかして、非代償性肝硬変のことを説明すると切れ始めてたいへん。
いまは自分でサラダ、弁当をコンビニ調達。

いまホームだって入れないし、病院かかれば医療費、いろいろお金がかかるし、
いまのうちにホーム相談して決めておいてといっても、お気楽モードでそんときは
いれてくれ・・・と他力本願。知らねえよう。

2どめのAVRから2ねん

きょう7月2日で2どめのAVRから2年経過です。
非代償性肝硬変でAVRなんてありえないどころか、普通の外科手術でもぜったいに引き受けませんと某心外科のゴッドハンドN先生。1回目のときは血小板5万以下、2回目のときはチャイルドBの肝硬変。生きています。秋葉参りとアンプ製作がいまのたのしみ。2回も命を救ってくれたJ医院A先生、スタッフの方々、麻酔のY先生、ありがとうございました。
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